おはようございます。
大阪最後の朝は、曇りです。
昨夜もたっぷり寝ました。
本日は、どのような仕事の対応になるでしょうか。変化系の毎日ですが、昨日の打ち合わせで、急遽の作業が生まれてもいます。
本日も善なる一日でありますように。


大きなこと小さなこと、その判別は一見難しいことのように思われるが、実は冷静になって、これまでの拘りから解き放たれた目で見れば容易に解決ができることなのかもしれない。小さな小さな感情の積み重ねが意固地にさせたり、偏見を生ませていることもあろう。今その中にいて、方向感覚を見失っているのかもしれない。
しかし言えることは、最も大事なことは、そこにはなくて今生き残ることができるかが自分の最大課題だと思っている。いや、生き残るか否かでは弱く、生きるか死ぬかといったほうが適切かな。
内輪の混迷がこの事態を引き起こしているという言い方もあるだろうが、私はそうは思っていない。今の日本がそうであるように、多少平和ボケしていて、気が付いた時には外敵の中で窮地に陥っている、そんな状態なのかもしれない。
平和な時には、その平和の根元が何かに気がつかないものだ。大企業のサラリーマンできた人は、安泰であることが前提にあり、安泰を脅かす外敵には気がつかず、内的の均衡や勢力を指摘する。その体制が崩れることなどは想像外にある。
改めて物事の本質に考えが及ぶように心がけたいと思っている。大局を間違わないように、方向を違えないように。そして今自分の中にある、小さな感情の棘で戦わないように、その戦いに引きずり込まれないように、と。


この引越しを成し遂げた人がいる。ある意味大仕事で、外部の人を率いる仕事を成し遂げた。本人はそう思ってなくて、煩わしいことが終わったと思っているかもしれない。
プロジェクトを率いることは、実はそんなことの繰り返しだ。理想もあれば、現実の着地点の中で悶々とすることもあるなかで、決断をしなければならない。それが大きな段差の階段を踏み超えることになった。
すでにもう、次のプロジェクトが目の前に現れている。今度はメンバーを率いることばかりではない。新たな体制を創ることになる。器の次は中身を創ることになる。最後は、何だろう。人を創ることになるのだろうね。順序は様々に違うだろうが、ともにやっていきたいものだ。私の携わる時間は少ないが。


1810現在。のぞみ発車待ち。
随分長い滞在だったような気がしている。しかし何時ものように二泊三日。
お昼に五目ラーメンというたっぷりな食事をしたのに、もうお腹が減っていて、駅弁で穴子飯を買って、発車前に食べてしまった。一体どうしたことだ。珍しい。穴子飯、割と美味しかったよ。最近は、駅弁をあまり食べないんだ。いつかローストビーフ弁当を買って、ソースを胸一面にかけてからはね。
今日は待ち時間が多かったけれど、本命の仕事をその隙間でこなす気にはならなかった。明日だね。午前中に机、食卓テーブルですが、が届くと言っていたので、午後からは集中して仕事ができる、かも知れない。とは言え、月曜日はCT検査の日なので、午前は会社に出て、午後からは早退することになる。よって月曜日に本命の仕事はできない。つまりは、明日に追い込まれているという訳だ。