おはようございます。
快晴から曇りに転じようとしている。陽射しに包まれた暖かい部屋が、一変して寒い部屋に。
今日はお昼から、集中してまとめごととなります。幾つもの事項が重なり並行していますが、重要度とその上位下位を整理しておく必要があります。それを間違えて下位から手をつけると、再び似たようなことで同じ議論を別の場所でしなければなりません。
何れにしても大きな決断が必要なんでしょう。そしてそれが時間がかかるときは、私は他のことに手を付けて部分解決に血道を上げていくべきではないと思っています。やはり重要なことは、本題の解決に着実に向かっていくことだろうと、思っています。
何故なら取り組まなければならない、総エネルギーは限られているのですから。
多くの課題があります。つまり、この課題を潰せば、自ずと別の幾つかの課題が消えてしまう、という上位下位や関連の整理をしなければならないということです。


1040現在。
ばあちゃんが壊れはじめた。もう90歳を超えているのだから仕方がないことであろう。けれども身体は相応に元気である。何よりである。平穏で幸せに過ごしてもらえればいいと思う。
いずれ近いうちに我々もそんな時が来るんだ。


笑うということは、何にも増して素晴らしいことだと思う。この数日、懇親の場で心から笑うことができ、その途中ふとした瞬間にそのことに気がついた。
縁は異なもの味なもの、まさに縁とは天から何気無く降ってくるものだと思うね。そういう意味では、自分にはこういう縁が一杯あるね。大事にして行きたいものだ。それは決して、過去に向き合っているばかりというものではなかろう。その相手も、今を生きているからだ。


さあ、午前中は書斎に入り、最近持ち歩きはじめた原稿に向かい合うことにしよう。
FBでは、今日は阪神淡路大震災の日を知らせている。1995年は自分に取っても実に大きな転機の年だった。転職するきっかけが生まれた年でもある。生まれて初めての訴訟ごとにも見舞われた。その紛争解決には約1年を費やした。
会社の中では、孤立し随分冷ややかな目で見られ続けていたが、根っからの破天荒さが幸いしてか、気にすることもなく心を病むことなど毛頭なく、僅かではあるが人の支えがあり勝利となった。
手のひらを返すように、取り巻きが寄ってきたが、全く関心も興味もなかった。そのことが数年後に職を辞す決意をさせた。
その紛争の原因となったプロジェクトは高松市の仕事であった。長期の高松滞在で仕事をしていたが、当日はたまたま自宅にてTVをつけっぱなしで夜明かしの作業をしていた。その日は、一日中TVニュースに釘付けとなってしまった。
数日は、高松に渡ることができず、漸く新幹線で新大阪まで行き、バスで神戸の街を抜け、岡山までのルートが開け出発した。神戸の街は、当時W社の仕事で何度も訪れたこともあり懐かしさで一杯だったが、無残な姿を車窓から見て驚愕した。渦中にいる人達の思いは、如何なるものだっただろう。
生きる人の力は敬服するほどに強い。弱い自分一人ではとても再起などできないだろうな。


1310現在。
日遅れの鏡開きでぜんざいを食べた。好きなんだな、ぜんざい。小さな頃は、博多の街でもよく食べに連れてってもらった。この歳になると、美味さに堪能しながらも、家族が餅を喉につまらせないかを心配する。話しながら食べるな、と思うが気にしてない様子。自分は心配性なんだろうか。
京都女子駅伝が始まっている。随分前に京都を旅した時に、銀閣寺近くでちょうどこの駅伝に遭遇してしばらく見ていた。そのあとで近くの一銭洋食屋さんで昼食を食べたのを思い出すな。
さあ、仕事しよ!