中学に進んだ時のことです、私はクラブ活動でボーイスカウトに入りました。ボーイスカウトには一式の装備が必要で制服やキャンプ用品等を母にねだりました。これまでは必要なものは何一つ苦言なく買ってくれていたのですが、この時に母の言葉はお父さんに相談するから、というものでした。
そのころ、親父と母の口喧嘩が少しずつ毎日のように始まっていました。しかし、決して私の前では行われず、大きな声が聞こえるのみでした。母も気丈に親父に向かっておりました。
元来、小心者の私は、喧嘩が始まると耳を塞ぐような性格で、大きな怒鳴り声で争う声を聴くと怖い想いで一杯でした。
そんなある日、喧嘩の結果でしょうか、ボーイスカウト装備の一式を揃えてくれることが認められました。しかし、喧嘩の有様を聞いた私には、もうその興味や情熱の大半を失っていたことも事実でした。
余り上手くいっていない家庭の事情を察知し、私にも小さな憎しみの自我が生まれ始めたのはこの時ではなかったでしょうか。その小さな自我は母を守るという一点から始まったのです。
ある時、喧嘩の声が普段より強く聞こえ、物が崩れる大きな音がすると同時にお手伝いさんが泣きながら、両親が喧嘩をしている部屋に駆け込んでいきました。
私は、自分の部屋で縮まって、買ってもらったばかりのボーイスカウトの装備の一つであるナイフを握りしめていました。これまでにない激しい感情が生まれたのです。部屋に入り込んで行って親父を殺してやろうと思ったのです。実際にその場から移動して親父を刺すことはできませんでしたが、いつかはという妄念が芽生えたのです。
私は、親父に似ているのでしょう、かなり意地っ張りの性格で、生活の苦しい中装備を揃えてもらったにも拘らず、一年程でボーイスカウトを止めてしまいました。母にも言えませんでしたが、ボーイスカウトではキャンプやその他の行事が多く、都度お金が必要でした。私は、誰にも言えずに学内の行事や訓練だけに参加していたのです。恥かしさはありませんでした。
クラブを止めたのちに、バレーボールクラブに誘われて入部しました。確か二年生の時だったでしょうか。背が高かったことに目をつけられたようです。しかし、どちらかというと運動音痴の私は、練習には励みましたが、卒業するまで控えにもなれない選手でしたね。いえいえ悔いはありません。そのお陰でぐんぐんと背が伸びましたので。