0903現在。
おはようございます。快晴の気持ちの良い朝でございます。こんな日は気持ちも晴れ晴れとしますね。最近は、朝起きてすぐに気持ちが沈んでいることがありますが、天気が良ければ払拭されますし、天気が悪ければすぐに床の中での運動に切り替え、気持ちを転換することにしています。
天気が良いと、庭の蝋梅の葉が一段と濃さを増し、目を癒してくれます。幹も枝もすっかり太くなりました。

1253現在。
陽射しが暑くなってきた。脚に日光浴をしよう。籠っていると、本当に日光に当たらないからね。
先日、電鍵という創作文を書き始めたと記したけれど、その背景について少しメモしておきたい。
中学生の頃、1年では剣道部、2年ではボーイスカウト部、3年ではバレーボール部とクラブ活動を漂流していた。ボーイスカウト部の時に同級生から無線の話が出て、ボーイスカウトでの連絡手段での無線に興味があったのかいろいろ聞き齧っていたところ、うちの兄貴がアマチュア無線をやっているので遊びに来る?、と声をかけてくれた。遊びに行ってみると、数台の無線機がある部屋で、実際の交信を見せてくれたり、自作の機械を説明してくれた。もう社会人のお兄さんだった。
その時に見せてくれた自作品にエレクトリックキーがあった。真空管式のキーで、簡単な操作で綺麗な符号が出てくるのに驚いた。
お兄さんと話し込むうちに、無線に興味があるなら電話級の試験を受けてみるかい、と言って受験のあれこれや電気の基礎などを教えてくれた。そして当時の電話級にすぐに合格し、工作三昧に明け暮れた。特に送信機は何台も作っては壊しで、私の場合は、交信するより工作する方が好きだったようだ。
そうして高校受験の時期になり、進路について父親と大きく意見が異なった。父親は義理の兄が医者だったこともあり、進学校に行き大学は医学部だと頑固に言い張った。私は自分の頭の程度もよく分かっていたし、船舶通信士になるんだと決めていた。どちらも頑固だったが、母親が担任に相談して結局私の進みたい道を父親に説得してくれた。
高校時代は、好きな道であることから楽しかった。ほとんど年に2回ある通信士や無線技術士の国家試験に向けての試験勉強に明け暮れた。高校入学してすぐに電信級に合格した。高校は毎日モールス通信の送信術や受信術の演習があり、3年間モールス通信号と共にあったといえよう。
通信士の試験にはモールス信号送受信実技試験があり、2年生になるころには一級通信士の文字速度(和文で75文字、欧文で120文字)の送受信ができるように訓練されていた。
高校は通信科というクラスだったが、進学クラスもあり普通の高校の授業が行われていた。しかし通信科では、全ての科目が国家試験向けに備えられており、数学は無線数学、英語は通信用の業務用英語、物理はなく電子回路他の工学、社会はなく試験用の世界交通地理などなどであった。しかし好きで選んだ道である、何の不満もなく楽しく過ごした。当時の国家試験は熊本で行われており、その時期になれば熊本に一泊して受験に行った。
私の目標は、3年になる頃には変化しており、通信士ではなく放送局に入りたいということで無線技術士に定めを変えていた。1級無線技術士の予備試験に合格することが当座の目標だったが、合格することはできなかった。予備試験免除は大学工学部卒で初めて叶うものだったので無理なチャレンジだったのだろう。しかしその後大学に入ってすぐの国家試験で1級無線技術士の予備試験に合格でき、大きな喜びとなった。特に大学の授業での電気磁気学は理解が大きく進み力となった。

1610現在。
25分の2800歩の散歩を完了しました。
外は春爛漫というよりは、初夏という方が正解です。汗をびっしょりかきました。

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