12. Aチーム

マイクロコンピューターの入門記事を雑誌に連載し始めて、吉田は毎月原稿の締め切り前後に顧問の先生と打ち合わせすることが定例となった。それは、文章見習いの徒にあっては、原稿に赤を入れてもらい、次号の内容についてアドバイスを受ける貴重な時間だった。最初は、原稿は真っ赤っかになって戻され、既に締め切り間際で何日も徹夜が続いた。
吉田は、辛抱強く手を入れ直し、或いはゼロから書き直しの生活が半年も続いただろうか。ようやく原稿の赤字が減ってきた頃、先生は自分の著作執筆を吉田に手伝わさせることを始めた。先生は当時には既に100冊以上の著作をなし、電子工学のオーソリティで有名だった。戦後第一号のフルブライト留学生としてアメリカのカーネーギーメロン大学を卒業されていた。
吉田は、先生の事務所でソファーに横に座り、大量の先生の原稿を並べ替えたり、切り貼りしたりしながら、どういう順序で本を展開するのかを実地で教えてくれた。
吉田も良く応えたのだろう、こうしたらどうだろうかの思いや提案を先生に投げかけた。先生はアメリカ帰りということもあるのか、その前に相当苦労されたこともあるのか、吉田の提案をよく聞き受け入れ大事に育ててくれた。先生の講演にも講師として同席させてくれたり、共著の数も増えていった。吉田が先生とはAチームであると感じた生まれて初めての時であった。以降、自分が中心でチームを持った時には、先生から教わったように対等にそして創造的に大事にしていこうと心に誓った。