おはようございます。
今日から私は4連休です。とは言え最終日は、レーザーで右目を治療する、わりと恐怖に近い日であります。
連れ合いは、暑い陽射しの中庭木の植え替えをしております。


昨日もヤモリ君は定時に網戸に出勤されました。昨夜も目苦しい夜でしたね。しかし、痛みで寝れないのとは大きく異なり、気が付けばフッと盗み寝しています。痛みでは、まんじりとせずに朝を迎えることがあります。


0949現在。
庭を眺めている。時折涼しい風が吹き抜けていく。
総会が終わって以降、追われる仕事や喧騒の中にいることはない。毎年この季節はこんなものだっただろうか。
いや、今年は格別なんだろう。終わりの道を歩み始めたんだ、と実感する。仕事もそうだし、何より身体がそうだ、と言っている。
この一年のうちに、重要な事項は幾つかあるだろうが、そのいくつかが重要で恩が返せればいい、無事難関を乗り切ればそれでいいと思っている。
今の役職への急な打診をされた時に、一年でいいからどうだろうかと言われた。病気持ちに頼らざるをえない急な事情が発生したのだろう。
瞬間、現在の身体の兆候を見て一年ならばなんとか持つだろうと思ったし、何より一年という区切りが見えれば、新たな終わりへの道が開けると考えて受けることにした。もちろん恩義も十分には返していなかったので、新たな職務で恩義ある人々を守ることができればという思いがあった。
急に時間がゆっくり流れ始めた。慣れない時間に戸惑いも感じるが、本来の自分に立ち戻れる時間となるのかも知れない。何かを喪失するかも知れないが、新たな何かが生まれ出会うのかも知れない。
本を読む人生から、思索する人生に自ずと転換することになるかも知れない。これまでが光となって終わり、思念となって始まるのだろう。
振り返れば、なんと暖かい道であったろうか。前を向けば怖いこともあるだろう、何より死を迎え愛する人に会えなくなる絶望が、誰しもに死の怖さを与えるのだ。振り返れば、ますますその思いが募るばかりだ。


高校時代の親友からメールが来た。どんな返事を書くのだろう。


1126現在。
最近は、眼の中に大きな蛾がいることは無くなったが、小さな少ない蚊が飛んでいる。ずっと楽になってきている。
テレビの字幕などは、もう判別できないくらいに視力が衰えているが、重要なのは思考の鈍さであろう。感度が悪くなったと、実感する。額の深部に、海馬というのだろうか、いつも霞がかかったような気がしている。しかし、その分慎重にゆっくりと考えることはできるようになった。決断の瞬発力は衰え無くなってしまったが。
一方、物理的身体動作は、瞬間の動きには対応できず、反応はじわりじわりとした、ほとんど年寄り状態である。この状態にあることも意識が充分に理解をしているのだろう、決して無理をした動きをすることがない。
これから考えなければならないことは、これらの状態の中で、どの様に思考し判断し、活動する方法やスタイルを編み出すかということだろう。果たしてできるでしょうか。


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