最早8月 我が熱き血潮が 燃ゆるとき。

7時起床。天気は曇り。目覚め快調。風もなく蒸し暑いな。
今日の予定は、午前中は仕事になろう。先ほどFAXが到着した。
午後からは、多少散歩でもして体調を整えることにしたい。


もうじき夏季休暇がくる。おそらく”遠くの波の音”はそれまでに終了していて、休み中には次の何か書いていると思う。
一度体に覚えさせることに成功すれば、継続することは十分に可能だ。問題は何を書くかということもあろうが、そんなことを言っていると書けるものではない。今回よくわかったことは、最初に”何をどのように”と決めていても、容易に最初の目論見は破綻してしまい、あらぬ方向に行ってしまうものなんだなということだ。
そこで軌道修正しても、そのままあらぬ方向のままに動き始めても、結局は書き続けることが重要なことなんだろう。そうしていれば、今回自分で強く感じたように、稚拙な文章、癖の存在、等難点はいろいろあるが、逆に気がつかなかった特徴にも行きあたる。
今回の挑戦は、自分にとって初めてのことであるが、ある人の刺激をきっかけに詩歌を初めたことに端を発している。詩歌は短い文章の中に、集中して思いを織り込むという、非常に新鮮な経験をした。
毎日書き続けるということではなく、言葉を探して長い時には1カ月以上もかかって、短い時は10分程度で創り上げる作業は非常に楽しいものだった。これからも今まで同様に続けていくことだろう。
今回の長文の挑戦は、もう15年近くも忘れていた毎日毎日原稿用紙に向かい、締切に追われ、細切れの時間を見つけながら書き続けていた感覚を再び身につけることを目的としていた。それもこれまで経験したことのない創作文の世界で。


12時40分現在。暑い。
ごろごろしている。いかん。これから仕事にかかるぞ。


20時15分現在。本日の業務終了。
仕事も終えたし、久しぶりにキーボードの練習もしたし、コード不明のまま”あの日に帰りたい”、創作文も書いたし、暑かったし、気持ちは熱かったし、これにて終了いたします。ではこれにて。
と思ったら、仕事のFAXが来た。


今週読み始めた本は、引き続き”越谷オサム”さんの”ボーナス・トラック”だ。