クリエイティブな仕事とは。

今朝早くから仕事について、いや昨日の電話一本を受けてからと言った方がよいかな、ずっと考えている。
仕事をする心構えについてのこと。
時代が違うから、立場が違うから、と言えばそれだけのことでしかないが、いやそうなんだろうか?ともう1人の自分は思っている。


仕事には量と質の問題がある。量と質と書けば別々に2つの存在だが、自分は”量×質=仕事”と思っている。
どんなに忙しくても、24時間を使って切りまわす、何度も質を考えて、納得できなければ訂正(引き返す)することにやぶさかでない。結局は、何のための仕事かと言えば、自分を高めることに尽きると考えている。高まった自分を会社に返し、自分の生き方そのものを向上させる。
押し寄せてくる仕事を、自分の向上と考えないで、何の向上だろうかという主張だ。押し寄せてくる仕事を捌くことに汲々として、その日暮らしをしてしまうことは自分は耐えられない。
押し寄せた仕事のさばき方も、向上の一つだろうが、押し寄せた仕事の一つ一つに質を高める自己練磨が向上でもある。質に裏打ちされた直感を磨くことになる。


自分がいま一番大事にしているのは、どんな仕事にも切れ味のよい直感が働くかどうかである。直感が正しいかどうかは気にしていない。間違っていれば責任をとればよい、謝る他ない。
その直感を育てるのはなにか。それは仕事に対する、さばき方の積み重ねであり、他領域への関心と創作実績だと思う。
押し寄せてくる仕事を手際よくさばき、さらにその一つ一つのさばき仕事の結果の質に自分のオリジナリティが発揮されていれば、向上は必ず裏打ちされる。

このような仕事の進め方には、ある意味家庭(過程の間違いではない)はない。極論だが、家に帰りついて初めて家庭を思い出せばよい。仕事では、創造を巡らせることに終始集中すべきだ。仕事に追われていれば土曜も日曜日もない。一心不乱で創造を巡らせるべきだ。それは他人のためではない。ましてや他人に言われたためではない。
全ては、自分の創造力を高める自己練磨なのだ。
そうすれば自ずと強い自分で家庭は守れる。人によって考えが180度異なるだろうから、これは自分の心情でしかないが。


自分は思うが、決して量は質を凌駕しない。質が伴わない量は意味がない。オリジナリティのない量は要領がよいだけの話だ。しかし、要領は一つの創意工夫だと思ってはいるけれど。
話は長く分かりにくいかもしれないが、量に押し流されるほど自分を見失い(働いているつもりにはなっているだろうが)がちである。量に捌きを求められるのなら、いつかもっと量がさばける人や組織が現れた時にどうするのだろう。現れなかった時、それは自分に求められているのは量を捌く仕事向きという評価かもしれない。
量のさばきは自慢にならない。量のさばきの悪さはいい訳にならない。
我々クリエーティブを志す者、仕事の質は、創造力でしかないのだ。


我々のトップは、クリエーターではないが我々を凌駕した創造的才能を有している。その思考・指向・志向を読み解き先回りすることも重要。そうしないと創造物は日の目を見ることはないからだ。
もう一つ重要なこと、このほうが重要と考えているが、自分のオリジナリティで”OK、いいね!”と言わせる新しい感覚を磨くことだろう。
この両方の研鑽が、クリエーターとしての自分の行方を決定づける。一言一句、クライアントあるいはトップの言葉を聞き逃さないことだ。そして言葉尻ではなく、その先の焦点を模索することだ。
苦しむことではない。肩の力を抜いて、四方八方目を配り、頑張ろうぜ。そして、小品であっても何か自分の作品を創り出す毎日にしようぜ!


朝:生姜蜂蜜トースト、白菜の煮つけ、ヨーグルト
昼:ジョナサンでポークソテーのようなもの
晩:ほうとう